激しいポール争いの末にフロントローを分け合ったアラン・プロストとアイルトン・セナ。決勝では絶妙なスタートでトップに立ったA.セナをマシン性能で勝るA.プロストが易々とパスするシーンも見られたが、鈴鹿の空が味方につけたA.セナは激しい雨が降り出すと一気にA.プロストとのリードを縮めオーバーテイク。逆転で勝利を掴み、両雄最後の鈴鹿バトルはA.セナに軍配が上がった。

 このレースではA.セナのチームメイト、ミカ・ハッキネンが3位に入り、両雄と共に自身初の表彰台に。M.ハッキネンの手を高々と上げ健闘を称えるA.セナ。この新たな時代の到来を予感させるシーンを見たもの誰もが、鈴鹿で見るA.セナの雄姿が最後になるとは思ってもいなかった。






 アイルトン・セナの追悼セレモニーの後に行われた決勝は、マシンが走り出すと大粒の雨が降るという、鈴鹿の空も泣くウェットコンディションとなり赤旗中断。レースは奇しくもA.セナがアクシデントに遭ったサン・マリノGP以来の2ヒート制でのレースとなった。

 この年巧みなピット戦略で数々の勝利を収めてきたベネトンだったが、ゴールまでのガソリン計算に狂いが生じ、M.シューマッハは緊急ピットイン。これでD.ヒルがタイム上のトップに浮上。ウエットの路面で猛然とペースを上げるM.シューマッハは最初にチェッカーを受けたが、タイミングモニターはD.ヒルのトップを示していた。M.シューマッハはレース後、これまでD.ヒルに対して発していた批判的なコメントを全て撤回し、D.ヒルに対し『素晴らしいライバル』と称えた。

 この年ウィリアムズから華々しいデビューを飾ったジャック・ビルヌーブは伝説のドライバーとなったジル・ビルヌーブの息子。かたや往年の名ドライバー、グラハム・ヒルを父に持つデーモン・ヒルは、今やウィリアムズのNo.1ドライバー。この2世ドライバー同士によるタイトル争いは鈴鹿決戦を迎えた。

 レースは、ポールからスタートしたJ.ビルヌーブがスタートで出遅れ、D.ヒルがトップに立つ。序盤5番手を走行するJ.ビルヌーブはレース中盤ピットインを済ませ、後半に勝負をかけたが、1コーナーで右後輪が外れてコースアウト。D.ヒルはトップでチェッカーを受け、自らのタイトル獲得に華を添えた。この年優勝請負人としてフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハは、鈴鹿でD.ヒルに次ぐ2位でフィニッシュしたが、タイトル争いに絡むことはなかった。







 1991年の鈴鹿でタイトルを獲得して以来、栄光から遠ざかっていたマクラーレン。しかしこの年のマクラーレンは、空力の奇才、エイドリアン・ニューウェイのマシンデザインと日本のブリヂストンタイヤのマシンパッケージが良く、ミカ・ハッキネンはフェラーリのミハエル・シューマッハとタイトル争いを演じた。

 F3時代からのライバルである2人のタイトル争いは、両者がフロントローに並び決勝のスタートの時を迎える。しかし、M.シューマッハのマシンはエンジンストールし最後尾からのスタートを余儀なくされてしまう。レース中盤3位まで浮上したM.シューマッハだったが、最後はタイヤがバーストしリタイア。M.ハッキネンはトップでチェッカーを受け、初のタイトル獲得を果たした。

 前年のマシンパッケージをより進化させたマクラーレンは、ワールドチャンピオンのミカ・ハッキネンがシーズンを通じてフェラーリとのタイトル争いを演じ、またも最終戦となった鈴鹿で決戦の日を迎えた。

 イギリスGPでのクラッシュで左足を骨折し以降の6戦を欠場したM.シューマッハは、E.アーバインのサポート役に徹し、予選ではM.ハッキネンを抑えポールを獲得。M.ハッキネンに4ポイントリードのE.アーバインは、決勝でM.シューマッハ優勝、自らが5位以内でフィニッシュすると、初のタイトル獲得が決まる状況だったが、スタートでトップに立ったのはM.ハッキネン。その後もトップを走りトップでチェッカー。E.アーバインは3位に入ったものの、僅か1ポイント足りず、M.ハッキネン2年連続のタイトル獲得が決定した。








 2度のタイトル('94、'95)獲得後、優勝請負人としてフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハ。フェラーリでの5年目となるシーズンはライバルであるマクラーレン・メルセデス、ミカ・ハッキネンとの激しいタイトル争いを演じ、8ポイントリードで鈴鹿に乗り込んできた。

 予選でM.ハッキネンとの激しいポール争いの末に000.9秒という僅差でポールを獲得したM.シューマッハだったが、決勝ではスタートでM.ハッキネンの先行を許してしまう。しかしレース中盤から降りだした雨はM.シューマッハに有利に働き、2回目のピットインでM.シューマッハはトップに立つと、そのままチェッカー。フェラーリに21年ぶりのドライバーズタイトルをもたらすと共に、自身5年振り3度目のタイトル獲得を果たした。

 この年ミシュランがF1に復帰。2年間続いたブリヂストンのワンメークは終わりを告げ、1年を通じて激しいタイヤウォーズが繰り広げられた。マシンスピードは著しくアップし、ミハエル・シューマッハは1991年のゲルハルト・ベルガーが記録した鈴鹿での予選レコードを10年ぶりに更新した。

 レースは15万観衆の前でチャンピオンランを披露したM.シューマッハがポール・トゥ・ウィンでシーズン9勝目を飾った。このレースを最後にF1を引退するジャン・アレジのレースは僅か6周。新鋭キミ・ライッコネンのスピンに巻き込まれクラッシュ、リタイアに終わった。そのK.ライッコネンにシートを譲る形で、翌年は1年間の休養に入るミカ・ハッキネンは4位でレースを終えた。


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